いつか見た夢

「いろいろ辛いことがあったんだよ。
男は便器に向かって話し出した。
「うちの家族は父親とお袋と俺の3人家族で、そりゃそこそこ幸せに暮らしていた。
父親は定職を持っていたし、食うに困ることもなかったように思う。
俺が小学5年のある日、お袋が俺をテーブルにつかせた。
『○ちゃん大事な話があるの、ちょっと座って
座ったよ。
『お父さんいるしょ。お父さん○ちゃんの本当のお父さんじゃないの。
ああ、そうなんですか。
『・・・。
・・・。
別になんとも思わない。それがどういう意味を持っているかなんて知らない。
お父さんじゃない人と一緒に住んでいる、それだけのこと。
『で、お父さんとお母さんが離婚したら、○ちゃんどっちに付いていく。
・・・考えた。
で答えた。
「お父さん。
母親は『ふーん。と言って、そこで会話は終わった。
”言ってはならないこと”というものがあるんだ。
俺はこのあと母親と喧嘩するたびに30回くらいはこのことをほじくり返された。
母親に何かを頼もうとすると、『お父さんにやってもらいなさい。といわれるようになった。
家族で映画を見に行こうという話になって、当日の朝になると母親は決まって、『2人で行っておいで。と言うなり説得には決して応じなかった。
終いには、『生みの親より育ての親のほうが好きなんだね。と言った事さえあった。
”言ってはならないこと”というものがあるんだ。
俺はこの言葉が絶対に許せない。
勝手に結婚して子供生んで離婚して再婚したのは全く俺の責任ではない。
俺がそれなりにやさしい父親になつこうと何の悪いことがあるだろう。
しかし中2のころの俺はここまで理屈っぽく考えることはできなかった。
ただ、もし母親が本当の母親でないと判明したときには、きっと刺し殺してやる、と心に誓った。
俺は余計なことはなるべく喋らないようにしようと努めた。
父親と母親の仲が険悪になるにつれ、その間の伝令係にされることも多くなった。
ますます俺は喋らないようになった。
家族の関係を悪化させるような言動は俺でフィルターをかけ、どうでもいいことだけを伝えた。
しかし母親は、そのどうでもいいことからどうでもよくないことのにおいを嗅ぎ取り、尻尾をつかむと俺の口から白状させてしまった。
俺は中学を卒業し、高校に入った。
父親と母親は顔を合わせることもなくなった。
いわゆる家庭内別居と言うやつだ。
父親が帰ってくると母親は自室に引きこもり、父親が寝てしまうと母親が動き出すという生活が続いた。
やがて食事が分離され、家計が分離された。
俺はどうでもよくなってきた。
グッドウィルハンティングという映画を見て、泣いた。
誰かに「君の責任ではない。と言ってもらえたらどんなに楽になっただろう。
しかし誰にも相談できなかった。
母親と父親はあのざまだ。
親戚は近くには住んでいない。
友人に話したとて、こんな話犬もくわねえ。
俺の通っていた学校は県内でもトップと噂される進学校で、同級生には大学教授の娘や医者の息子がざらにいた。
どいつもこいつも自分のような惨めな環境には縁が無いように思われた。
このコンプレックスと自己憐憫を糧として俺は青年に差し掛かった。
それはそれは、吐き気を催さずにはおかない醜く歪な時代だった。」
男は便器に向かって話し続けた。