劇場版 RE:cycle of the PENGUINDRUM

アマゾンでレンタルして見た。待っててもプライムに来なさそうだし。前後編それぞれ880円で48時間視聴可能。高いなあ。

最安はDVDレンタルなんだろうけどオンラインのが手軽。

でもなぁ、見直すためディスクレンタルして個人用にリッピングしたほうがお得だなあ。(←いい大人なんだから買え)

この作品は2011年のアニメ作品を10周年記念で前後編の映画に再編集したもの。

幾原作品の映画化といえば少女革命ウテナの劇場版がある。あれと比べると今作の劇場版はかなり真面目に作られている。ウテナは39話20時間弱の映像を1時間半の映画にまとめるという、どうかんがえても無理のある企画。なのであえてアニメ版と全く違う新しいウテナとアンシーの物語を語り直すことになった。ピングドラムは24話12時間の映像を4時間半にまとめたものなので、基本的にアニメ版に忠実に作られている。それでも3分の1にまとめる鬼畜の所業なので、無駄なシーンはばっさりカットされ、ストーリーが分かる程度にダイジェスト版になっていた。

この映画を最も楽しめるのは、アニメ版を1度通して見て、ラストはなんか感動したけどよくわからなかったなあ、という人だろう。この作品は周回前提に作られて、後のシーンを見て初めて前のシーンの意味がわかるという箇所がいくつもある。1度見ただけではわからないのは当然で、今回シンプルなダイジェスト版になったことで効率よく周回ができる。2回めの視聴はいくつもの発見があるだろう。

逆に言えば、アニメを見たことがない人がいきなり映画を見てもやはり分からないだろうw 一応、誤解を招きそうなところは分かりやすく補足されている部分もあった。サネトシが既に死んだ亡霊であることなど。多蕗メイン回はアニメではあまり好きではなかったが、圧縮されたことでぐっと良くなった気がする。あれは苹果の覚醒回だったんだなあ。

すでにアニメ版を何度も見てる人は、今まで12時間かかっていた周回が4時間半に短縮されて功徳が捗りますね。ありがたや。

以下、ネタバレあります。

劇場版での追加要素であるが、全体の構成はアニメ版で兄弟が運命の乗り換えを行った直後、子供の姿になり記憶をなくした兄弟が図書館(そらの孔分室)で乗り換え前の記憶を読み直す流れになっている。乗り換え後の兄弟の案内役として、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルの代わりの桃果、そしてサネトシの代わりのプリンチュペンギンが登場する。

プリクリが「きっと何者にもなれないお前たち」と言うのに対し、桃果は「きっと何者かになれるお前たち」と言う。これは10年間が経過した結果だろう。10年前は90年代の暗い雰囲気にフタをして表面上明るく楽しく生きる人々に、過去と向き合え、現実を生きろ、というメッセージがあったように思う。一方この10年間は東日本大震災があり、コロナ禍があった。今は海外で戦争も起きている。この時代を生きる子どもたちに更に現実を直視しろと言うのは正直きつい。監督が今の子供に贈る精一杯の言葉は、希望を持て、きっとうまくいく、なのかもしれない。

プリンチュペンギンは、一見いらないような気もするが、意味のないことをする監督ではないと信じて考えてみる。終盤でサネトシの意識が宿っていたのは赤ちゃんペンギンではなくシールだったとわかる。これはネットの情報に毒される子どもたちを表していそうだ。ネットで検索すれば過去現在のあらゆる情報が手に入る。キレイなものの裏の汚いものが見えてしまう。情報で武装してレスバに勝つことが正義。心が未熟なまま情報偏重で生きていると、やがて過去の思想に手招きされサネトシらの手中に落ちかねない。そうならないため、心を育てなきゃ。もっと希望を。もっと情熱を。もっと愛を。誰かの知識ではなく、君自身が2010年代を生き抜いた存在証明を叫べ!

映画の追加要素ではないけど、改めて見てふと気づいたこと。桃果を心に思いながら車を走らせる時籠ゆりは、アニメ版ウテナウテナを探しに出たけどウテナと再会できなかったアンシーなんだろうな。97年のアニメで少女だった登場人物が11年のアニメで大人として登場し迷い続けている。幾原作品はシビアである。もう一つ。多蕗の母親はピアノの才能を愛していて多蕗に才能がないとわかると弟に目をかけるようになる。この母親の声はウテナで幹を演じた久川綾。ピアノを愛し才能のない人間の気持ちに気づけない点がリンクしている。

アニメ版の記事で書いたけど最後の兄弟の転生は実際に起きてないイリュージョン派だったので、映画の最後は解釈違いだなあ。イリュージョンのときは星を出すというお約束を忘れてませんか? 子供二人にリンゴ半分って、前より厳しくなってません? ピングドラムの物語を読んだ分の経験値があるとはいえ、そんな強くてニューゲームしなくても…