スラムドッグ$ミリオネア(2回目)

テレビ番組はつまらないし、君の名はを2回見たいとも思わないし、アニメも見たいのは一通り見てしまって、退屈だなぁと思ってアマプラの映画をあさっていた。

それで、13年前に映画館で見たスラムドッグ$ミリオネアをもう一度見ることにした。アマプラの見放題はあと9日だから見てない方はぜひどうぞ。

クソ感想を見ればわかるように、一応ストーリーは追ったものの、当時は特段なんの感想も抱かなかったようだがはたして。

ストーリーはおおむね覚えていたけど、途中のいくつかのシーンは再度見てもあいかわらず強烈だ。

一番きつかったのは熱した油で目を潰された少年アルヴィンドと再会するシーン。歌いながら物乞いをする少年をみたジャマールは旅行客から巻き上げた100ドル紙幣を少年に渡す。少年は相手がジャマールと気づき、ジャマールが偉くなって嬉しいという。ジャマールは幸運で、自分はそうでなかっただけだと(最近どこかで聞いたような気がするぞ)。

兄マリクは途中クズのように描かれている。しかし最後の最後でラティカを逃がすために親分を裏切り死んでしまう。このシーンを見ていて頭の中に霹靂が走った。マリクは冠葉で、ジャマールは晶馬、ラティカは陽毬なのだと。映画のレビューサイトのコメントで終盤の兄の心変わりが理解できないというのが結構あった。思い出して欲しい。目潰しから逃げるときも、ラティカを救出するときも、いわゆる窮地の場面でいつも行動を起こしてジャマールの命を救ったのはマリクだ。マリクは彼なりに自分が手に入れた力でジャマールやラティカを守っていこうと考えたのだろう。しかし世の中は甘くなく、彼はラティカを悪党のジャヴェドに差し出すしかなかった。もしジャマールがラティカを救い出すならジャヴェドはいないほうがいい。だからマリクは行動したのだ。たとえ自分が生きのびられないとしても。

全員が幸せになれないことなんてわかっている。自分が不幸でも仲間の誰かが幸せになればそれでいい。それが彼らスラムドッグの選んだ(選ばざるを得なかった)生存戦略だったのだろう。

スラムドッグ$ミリオネアピングドラムの類似性について誰か何か言ってないかとググったところ、以下の記事を見つけた。

幾原監督、この映画を見てますね。やはり冠葉・晶馬兄弟にマリク・ジャマール兄弟のエッセンスが1%くらい含まれているのは確定的に明らか!

あとレビューサイトのコメントで、最後の問題が簡単すぎるというのもよく見かけた。それはどうでも良くない?学校の先生が兄弟をアトス、ポルトスと呼んだからその名前は知ってる。3人いるらしいということも知っている。でも3人目の名前は知らない。だって読んだことないんだもの。だからジャマールは最後は完全に山勘で答えている。

それに最後の問題を間違えたくらいでジャマールはラティカを諦めないよ。きっと別の道を探して会いに行く。だから別に最後の問題を勘で正解したっていいじゃんか。

もう一つレビューサイトのコメントで気になったのが、実はミリオネアに出たのも兄の心変わりも実際の出来事ではなく、ずっと駅でラティカを待つジャマールの空想なんじゃないかという説。その発想はなかった。確かに頬の傷にキスしてから映像が逆再生になるのが謎演出なんだよな。だけど兄がジャヴェドを始末しない限り二人に安息の日はやってこないから、そこまで空想ということはないんじゃないかな。1回目に駅に来たラティカには傷がなかった=逃げ出した罰として切られた、ということを示すための逆再生なのかな。ジャマールだけでなく、カメラに映ってはいないけど、ラティカにも彼女自身の人生と戦いの日々があったんだよ、ということか。