宇宙消失

不可能性をあやつる男(ニック)とその一味は、頭に仕掛けられた謎の意識(忠誠モッド)に導かれるまま大冒険。
我々の世界と別の次元(多世界的な意味で)に住む生物(拡散ローラ)と遭遇し、星(お空の)が奪われた真相を知る。

あれ、デジャ・ビュ?

冗談はさておき、やっぱりイーガンの長編は並みじゃない。なんか、読んでてビリビリする。ベースとなる科学の知識も相当だが、そこからの逸脱がすごい。

ちなみに宇宙消失は著者の第一作。自分の読んだ順は、順列都市(2番目)→ディアスポラ(4番目)→万物理論(3番目)ときて本作と、めちゃくちゃだが、現時点で翻訳されているものは読み切ってしまった。短編集も3冊読んで、残るはいつの間に出ていた「TAP」とかいう短編集のみ。翻訳大変だと思うけど、長編読みたいよぅ。。

本作のつかみは、ある日突然、太陽系をすっぽり包み込んでしまった漆黒の球体「バブル」。一夜にして星空を奪われた人々は大混乱、多くのカルト教団が世界の終わりを予言したが、それっきり何もないこと30年。人々は星のない世界に順応してしまった。理由も、それが何なのかもわからぬまま。

料理に例えるなら、これは調理方法にあたる。ステーキとか、ソテーとか。タイトルにもなっていることだし、作品のメインテーマであることは間違いない。(ちなみに原題はQuarantine「隔離」で邦題とぜんぜん違うけど、やはりバブルのことと思われる)

で、いったい何のソテーなのか、食材は何か?というと、量子力学の「波動関数の収縮」である。ああ、珍味だね。猫のような味がするらしい。物理学のなかではキャッチーな話の一つなんだけれども、姿焼きはちょっとねぇ。

添え物として、多様な「モッド」を用意しましたので、胸やけした方はどうぞお召し上がりください。モッドの部分だけ読んでもサイバーパンクっぽく楽しめるかと。

食材の話をしよう。
20世紀初頭、原子の研究が進むにつれ、我々が馴染んでいる物理法則とは全く違う法則でナノの世界が動いていることがわかってきた。この新たな法則「量子力学」の成果はめざましく、今日のありとあらゆるテクノロジーの土台と言っても過言ではない。しかし、この量子力学、数式から導かれる値と実験結果とはぴたりと一致するのだが、なぜそうなるのかがよくわからない。

量子力学の有名な実験で、2重スリットの実験というのがある。
下の図は、左の野球ボールを右のスクリーンに投げているところだ。真ん中の壁には穴が一つ空いている。ボールと穴を結ぶ線の延長線上でボールはスクリーンにぶつかる。

これの電子版をやってみた。野球のボールではなく、めちゃめちゃ小さい電子を一個投げるのだ。実験の都合で丸い穴ではなく細いスリットを使用する。電子銃から一個電子を撃つと、スリットを通過した電子は向うの壁に跡を残す。もう一個うつ。壁にもう一点。これを繰り返していくと、壁には濃淡のパターンができる。多少ぼやけるものの、ほとんどの電子はスリットの延長線上に到達することがわかった。

実験を進めよう。今度はスリットを2つ、平行に設置する。これに向けて電子を撃っていくとどうなるだろうか。一回目のパターンが2つ仲良くならぶのかな?

結果は、こうなりました。

『あ、ありのまま今起こったことを話すぜ!
 「壁に電子を一発ずつ撃っていたら、いつのまにか縞模様ができていた。」
 何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をしているかわからなかった。
 偶然だとか実験誤差だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・』

科学者はこの縞模様に見覚えがあった。港の入口に寄せる波のパターン、あるいは狭い隙間を通過する光がつくる干渉縞。もし電子が波としての性質をもっているのなら、この実験結果に説明がつく。
この実験結果のおもしろいのは、電子が粒子でもあり波でもあるということを疑いの余地なくしめしていることだ。電子を一発ずつ撃っているときは壁に一個ずつ跡がつく。つまり明らかに粒子としてふるまっているのに、何回も繰り返した結果の分布は波の性質を示している。一度に何千もの電子を撃ちだすのなら、その集団が波のようにふるまうことも想像がつく。しかし今回は一発ずつ撃ちだしていて、電子たちが互いに影響しあうこともない。

となると、考えられる説明はいくつもない。
ある人は考えた。電子の動きは何かの確率分布に支配されている。そしてその確率分布に波の性質があるのだ、と。
ある人は考えた。電子は粒子だが、周りに波をまとっている。スリットの近くで波が変形し、電子はそれに乗って運動するのだ、と。
ある人は考えた。いやいや、一発ずつ撃ちだしたつもりでも実は電子は両方のスリットを同時に通っているのだ。だから干渉パターンがでるのだよ、と。

現在主流なのは一つ目の確率解釈だ。コペンハーゲン解釈とも呼ばれる。この立場をとった場合に考えなければならないのが収縮だ。電子の本来の姿は確率分布と考えられるが、私たちが観測できる結果は常にどこかの一点。確率分布全体ではなく、その中の一つだけである。スリットを通る時はボヤっと広がっていた分布が、壁にぶつかる時は一点に収縮しているのだ。
一体全体、この収縮というやつは、なにもので、いつ、だれが、どこで、どのように、なぜ、引き起こされるのだろうか?

これにもいくつかの説がある。(今日のテクノロジーの土台というべき偉大な量子力学は、実にモヤッとしているのである。)
ある人は考えた。ミクロな世界では拡散していても、実験装置などマクロな物体と相互作用すると収縮してしまうのだ。
ある人は考えた。いや、熱運動の影響で、ほっとけば勝手に収縮していくんだよ。
ある人は考えた。複数の量子状態をとりうる時点で世界はその数だけ分岐する。我々はその一つに住んでいるから観測するとあたかも収縮しているように見えるのだ。
ある人は考えた。収縮は人類が進化の過程でさずかった、特殊な殺戮能力なのだよ。

ちょww最後の人wwなに言ってんのwwww
だが、こんな無茶苦茶な話を、まことしやかに長編小説にまとめてしまうイーガンは素敵なのであった。