ハーバード白熱教室 第1回

ハーバードのマイケル・サンデル教授が12回にわたって行う「JUSTICE」についての講義。
・レクチャー1 犠牲になる命を選べるか
 あなたは電車の運転手で、目の前に5人の人間がいる。このまま直進すると5人をひき殺してしまう。しかしハンドルを切って退避線に入れば、そこにいる1人の人間をひき殺すことになる。さあ、どうすればよいだろう。
 では、電車の前に5人の人間がいるのは同じだが、あなたは運転手ではなく橋の上にいる傍観者。電車が直進すると5人をひき殺してしまう。しかしあなたの隣にいる太った男を線路に突き落とせば、彼は死ぬが5人は助かる。さあ、どうすればよいだろう。
 では、あなたは救急救命士で、6人の患者がいる。重症の一人にかかりきりになればその人は助かるが5人は死ぬ。また中程度の5人を治療すれば助かるが重症の一人が死ぬ。
 あるいは、あなたは移植医で5人の移植待ち患者がいる。このままでは5人が死ぬが、隣の部屋の健康な男から5つの臓器を抜き出せば、彼は死ぬが5人は助かる。

 5人の犠牲より1人の犠牲のほうがよいという帰結主義者の考えがあり、たとえ5人が助かるとしても無関係の1人を犠牲にするのはいけないとする定言主義者の考えがある。
 どちらが正しいのか昔から議論が続けられ、未だに答えは出ていない。それでは議論することは無意味なのだろうか? 各自が思うように行動すれば良いのか? サンデル教授は議論を続けなければならないと主張する。この問題は私たちが生きる中でたびたび直面し、答えを出していかなければならないもので、懐疑主義に陥って議論をあきらめてしまうのは解決にならないから。

・レクチャー2 「サバイバル」のための殺人
 帰結主義者の道徳理論で最も影響のある、ベンサム功利主義について。正しい行いとは効用を最大化すること。あるいは最大多数の最大幸福。
 19世紀の事件。4人乗りの船が難破した。助けは来ず食料も底をついた。20日後、3人は一番弱っていた1人を殺し命をつないだ。その後3人は救助され、本国に帰って裁判にかけられた。3人の行動は道徳的に正しいと認められるだろうか。 犠牲者の同意があれば? 犠牲者の選出がくじ引きだったら? 問題はなくなるだろうか。 殺人は何があろうと殺人?
 殺人が何があろうと認められないとする考え方の根底には人間の基本的な権利があるようだが、それは何に由来するのか。また公正な手続きがあれば認められるという考え方はなぜか。同意の道徳的な働きは何か。