ハーバード白熱教室 第2回

・レクチャー1 ある企業のあやまち
 チェコで事業を展開するタバコ企業が、喫煙者が増えることでチェコ共和国に利益があるという費用便益分析を出した。それによれば、費用に計上されたのは喫煙が引き起こす医療費の増加、便益はタバコ関連の税収と喫煙者の早死にによる各種福祉費用の節約。
 ある車は追突されると炎上しやすいという欠陥があった。メーカは以前から問題を認識していたがリコールしなかった。その理由とされた費用便益分析は、費用として修理費用1億3700万ドル、便益として死者一人につき20万ドル、負傷者一人に7万ドル、そして炎上した車1台700ドル、合わせて4950万ドルであり、費用が上回るためリコールしなかったのだ。その企業は莫大な和解金の支払いを命じられた。
 功利主義の立場から、費用便益分析を人の命に適用するのは誤りである、また人の命につけた値が安すぎるという指摘がある。
 功利主義そのものに対して、個人の権利が尊重されていない、また価値と好みを集計するのは不可能だという指摘がある。
 1930年代の心理学者ソーンダイクは様々な嫌な行為に対する対価を調査し、ある程度の数があればどんなものでも価値を測定できると結論付けた。

・レクチャー2 高級な「喜び」低級な「喜び」
 価値と好みを集計することについて、ベンサム派の考えでは好みの種類ではなく強さと長さを重視する。 それでよいのだろうか? 喜びに優劣は要らないのだろうか?
 19世紀のミルはベンサム派の理論を進め、喜びの中でもほぼ全員が選ぶものがあればそれは好ましい喜びとした。
 ハムレットの独白とテレビのバラエティ番組、シンプソンズを比較して最も好きなものを投票させたところシンプソンズが多かった。しかし高級な喜びという投票ではハムレットシンプソンズが半々だった。ミルは高級な喜びは理解と教育を必要とすると説いている。
 ミルは効用に基づいた正義が最も大きく神聖なものとして個人の喜びより優先されるものとした。ミルの論が正しいかを論じるためには功利主義だけでなく個人の権利についても学ぶ必要がある。

ああ、すげー。高校の倫理の教科書で単語だけ覚えてた言葉がようやっと理解しはじめたような気がする。