音楽とか

はてなハイクに目覚めてから、今聴いている音楽をチェックする日々が続いている。
まるで勉強のように。
一応少なくとも動画が埋め込まれているものについては聞いている。
土日は投稿数が多くて疲れるわ。
結構投稿している人の年代・趣味にばらつきがあり、Web2.0世代から00年代、90年代、80年代、70年代、テクノ、ジャズ、ソウル、ロックといろいろあって面白い。
名前だけは知っているけど聴いたことなかったわ、てのがたくさんある。

今同時にイーガンの「しあわせの理由」を読んでいる。
この主人公は脳腫瘍の影響で常に幸福感を感じ続ける奇妙な症状の持ち主だったが、その治療のために投与された新種の薬のせいで逆に今度は全く幸せを感じなくなってしまった。
長期にわたるうつ状態から抜け出すため、主人公は新たな治療法にチャレンジする。
その結果は目覚しく、快感に反応する脳神経は再び満開となった。
ところがである。
この主人公、今までなんとも感じなかった芸術作品に対し、心震えるほどの感動を覚えるようになったのはいいが、それがどんな作品に対しても感じるようになってしまっていた。
芸術作品に感動するのは人間の高度な機能の一つである。
しかし好きも嫌いもなく、どんなものにも選り好みせず感じてしまうのは、おかしいと主人公は訴える。
そこで先生は主人公の脳内に仮想のVolume Controlを取り付けた、、、というところまで読んだ。

自分は基本的に映画も音楽も幅広く見聞きするのだが、これほど多くの作品に触れるとさすがにあまり好きでないものが出てくる。
そして好きでないものに対し、なぜ好きでないかを考える。
好きでない理由がわかると、今度はそれを好きなものに対して重ねて見ることができる。
そこで、「やっぱり、ここがこうだから好きなんだな。」とか、「あれ、これも同じなのにどうしてこっちは嫌じゃないんだろう。」とか、好きなものについてさらに考えることができる。より深く味わえたり、新たな発見があったりする。素晴らしいな。

自分はあまりジャズとかブラックミュージックとか好きじゃない。
なぜか。
歌声も演奏もみんな同じに聞こえるから。
どっちかっていうと新鮮なメロディー、個性的な声が好き。
ただ、いろいろ聴いているうちに別の見方を思いついた。
歌声や踊りも型にはめることで一種の楽器とみなす。ある程度の規格が決まっているのならいろいろ組み合わせることができるようになる。個性を少し殺すことで、セッションする自由度を増しているのだと。
個性を重視する人が一緒に演奏しようとすると、どちらかが譲歩してもう一方のスタイルに合わせたり、または両者に共通したオールディーズを選んだりしないとうまく調和が取れないと思う。
ジャズやクラシックは、みんなで楽しく演奏できる音楽なのだ、と考えれば、わかった気になるし、それもありかな、と思う。