夏と冬の奏鳴曲

ぶっくおふでかった。ひゃくえん。のべるずばん。

主人公は、過去に遭遇した事故で命を落とした人物の幻影を引きずって虚無的に生きる医学生崩れの雑誌記者。
彼は編集長に命じられ、知り合いの女の子とともに日本海に浮かぶ小さな島へ取材に赴く。
そこは今から20年前、一人の少女を囲んで数人の若者が一年にわたって共同生活を行った島。
少女の死から20年目に再び集う、少女の信奉者たちと部外者二人。
真夏の中庭に突然雪が降った日、現れる死体、消える連絡船、そして「復活」する少女、謎が次々と現れる。

すごい。
今回島で起こったすべての事件は、犯人・手段・動機すべて明らかにされているはずなのに、わからない。
謎が解けない。説明されない。そもそもいったい何が謎なんだっけ?
明確な動機と利得を備えた事件たちを取り除いていくとそこに現れる、事件たちと関わりがあるようで関わりのない大きな思惑。
誰が得をするわけでもないのに強固で巨大な思惑にぶち当たって、それを信仰と呼ぶしかないのかもしれない。
読んでる途中で、キリスト教って怖いなぁと思った。
キリスト教の神は過去に実在したものではない。強い武力で国を護った英雄でもなければ、特殊な技能で人々を救った賢者でもない。ただ人々の頭の中にあるひとつの観念にすぎない。
しかしキリストとその弟子たちは、受難や復活などの奇跡を通じて、人々個人の頭の中にしかない観念をつなぎ合わせて神として統合してしまった。
神、爆誕である。
教の作り手たちがそもそも何を意図していたのかはわからないが、結果としてキリスト教は人々に広まり、ローマ帝国以降の西欧の国々のなかで大きな勢力を持ち歴史を動かしてきた。
なんかこの本を読んでいると武藤がそんな宗教に至る道を歩んでいたのではないかと感じて空恐ろしい。
あと、まともな人間がいねーってのも怖いね。
ようするにこの本はかなり怖かった、と。