少女革命ウテナ

機会があったので1週間くらいかけてぶっ通しで見た。初見。

1997年のオリジナルTVアニメ。1999年に映画化。

監督はセーラームーンシリーズディレクターを務めた幾原邦彦ウテナの後、輪るピングドラムユリ熊嵐、さらざんまいなどを監督。自分は大してアニメに詳しくないので全部未視聴。この人は庵野秀明と仲が良くてエヴァのカヲルはこの人がモデルだとか。

その他、寺山修司天井桟敷出身のJ.A.シーザーの合唱曲を取り入れたり、原画に細田守や、今はスタジオカラーやシャフトで活躍する人たちがいたりする。

キャラクター原案は少女漫画家のさいとうちほで、美形の男女が登場し宝塚的な耽美的な雰囲気もあるが、決して少女向きということはない。90年代を代表するアニメとして男女問わず見るべきと思う。少なくとも完成度でいえば1995年のエヴァをしのいでいる。

どういう話かっていうと、見てもらった方が早いけど、女の子が戦うアニメだ。まどかに通じるものがあるかもしれない。Fateはいろいろ影響を受けている。シリーズ構成がすごくしっかりしている。手抜きともとらえられかねないバンクの多用や、本筋に関柄系なさそうな遊び要素すらも、全体のリズムを生み出すための必須の要素に思える。

まあ、見る前の予想はたぶん裏切られるので、GWの暇な時間にでも肩の力を抜いて見てもらうと良いと思う。

以下、内容を掘り下げつつネタバレするので、見てない人は注意。

シリーズ全体は、生徒会編、黒薔薇編、鳳暁生編、黙示録編に分かれている。

生徒会編は登場人物紹介と、生徒会メンバーとの決闘がメイン。最初は面食らういろいろな演出も、回を追うごとに大好きになる。3話の時点ですでに絶対運命黙示録ロスを感じる。5話で再び流れると、待ってました!という感じ。アンシーから剣を取り出すバンクが何回見てもカッコいい。

黒薔薇編は新たな人物、新たなシステムが登場する。地下や死の陰鬱な雰囲気が漂う。生徒会メンバーの身近な人物が剣を奪い、執着や嫉妬などマイナスの力でウテナに戦いを挑む。そして理事長・暁生の得体の知れなさが明らかになってゆく。

鳳暁生編は心機一転、理事長室に引っ越したウテナとアンシーが心を通わせるのに応じるように、世界の果てを見せられた生徒会メンバーはペアで戦いを挑む。そしてウテナも暁生に惹かれるように変わっていく。

黙示録編の冒頭34話ではウテナの物語が明かされ、物語は大きく様相を変える。ウテナは世界を革命する力を手にして薔薇の花嫁を救う王子になるため城に向かう。しかしそれも含めすべてが暁生の罠で、ウテナは世界を革命することはできず姿を消す。

一番印象に残ったのは34話かな。何度も繰り返されてきたウテナの寓話風昔話がガラッと見方が変わった。あとは38話、39話も多くを語らずきれいに着地させたのは上手いトリックを見たようだ。生徒会編~鳳暁生編も斬新な演出で楽しめたけど、やっぱり黙示録編が良くできてる。作画もいいしね。

何かと話題になる33話。総集編に突然ぶっこまれる爆弾。まあ、あまり本編に関わる話じゃないので特に取り上げるものではないね。お父さんもお母さんも、いつかどこかで初めての時はあった。でも18時のアニメで家族と一緒に見ていたら凍り付くだろうなぁ。

考察というか、思ったこと。主に黙示録編について。

世界を革命する力、ディオスの力、奇跡などと呼ばれる力の正体は、幼いころに持っていた、強い思いだけで行動できる力ではないかと思う。暁生も幼いころは女の子を笑顔にでき、無邪気にも世界中の女の子を救いたいと願ったのだと思う。しかしそれは現実的に無理な話。年頃の女の子にとっては調子のよい浮気性の詐欺師みたいなもの。

昔できたことができなくなったディオスは女の子たちに責められ思い悩む。兄思いのアンシーがディオスをかばって非難を受けてくれるのをいいことに、ディオスはその立場に安住することにした。その慣れ果てが鳳暁生。

暁生は気づかない。ディオスがウテナにしてみせた王子の奇跡。それは100%がディオスの力ではない。棺の蓋を開けて世界を見せるところまでがディオスの力。棺から出て歩き出すのはウテナの力。そこに気づかない。ウテナから剣を奪って振るったところで王子の奇跡は起こせない。

ウテナはアンシーがかつての自分のように過酷な運命を恐れて自分から棺の中に引きこもっていることに気づいた。そこでウテナはアンシーの世界に無かった可能性を残して姿を消した。10年後に笑ってお茶できたらいい。そのためにはウテナを探しに行かないと。そのためには鳳学園を出ないと。これはあれだな。ショーシャンクの空にだな。

大人になりきっていないウテナが持っていたのは友達を救いたいという強い想い。それを実現できるなら別に暁生のルールに従わなくたっていい。ウテナは棺の蓋を開けて未来を見せた。アンシーは棺から出て歩き出した。王子の奇跡はなされた。アンシーの心は革命された。でも暁生は決して気づかない。

生徒会のメンバーは、現実に苦しみを感じている視聴者の代弁者みたいなもんかな。39話の冒頭で冬芽はウテナデュエリストの代表として最後の決闘に向かったと言う。このアニメの決闘は命を奪い合うというより、想いをぶつけ合うものだ。生徒会メンバーは表の力、裏の力、それを合わせた全力でウテナに挑み、ウテナの想いが強いことを認めた。ウテナは結局アンシーしか救わないが、2人がなんらかの結末に至ったことは皆にとって希望だし、奇跡を目の当たりにした視聴者の中には現実の行動に繋げられた人もいるかもしれない。

黙示録というのは世界の終末のようなオドロオドロしいイメージがあるけど、本来の意味は啓示、天啓というものだ。この物語には暗示的に抽象的に現実が反映されている。幾原神はウテナの言葉と行動を通じて視聴者に強いメッセージを投げかけている。棺の蓋は開かれている。