サイダーハウス・ルール

今見た。
とりあえず原作との差分をあげてみる。

  • メロニィがいない。代わってメアリ・アグネスが繰り上げ当選している。
  • ラーチとアンジェラが仲むつまじい。
  • バスターって誰。
  • ホーマーがリンゴ農園の雇用者側でなく労働者側にいる。
  • 屋根に上らない。
  • キャンディとホーマーはしくじらない。
  • 規則表が焼かれる。
  • 孤児院が恵まれているように思える。
  • ホーマーが自分の使命を意外にあっさり受け入れる。
  • 医師の名前がF・Sじゃない。
  • キャロライン看護婦がいないので孤児院はじきに看護婦不足で立ち行かなくなる。


原作の映画化として、かなり良い出来だ。
キャストが素晴らしくて、原作のイメージを損なわず、愛すべきキャラクターに表現されている。
内容が濃く、しかも展開にそれほど無理がない。126分のなかでここまでエピソードを盛り込んでいるとは思わなかった。ラーチとホーマーの文通の場面は普通に感動した。孤児院パートとサイダーハウスパートに関してはかなりの回収率だと思う。
それに対してオーシャンビューパート、ホーマーとキャンディの関係についてはかなりうすい。エピソードがかなり削られているため、本当にウォリーが戦争に行っている間だけの関係だったのかよ、と突っ込みたくなる。流石にすべて詰め込むのは無理なので、というときに真っ先に切られてしまったのだろう。哀れなホーマー。まるで恋がかなわぬと知って尻尾巻いて逃げかえった負け犬のようではないか。
ずっと前に映画を見たときの記憶がどうも断片的だったのだが、今見直してわかった。本当にそういう映画だった。エピソードはいっぱいあったのだけれど、主題は何?と言われると首をかしげてしまう。
唯一サイダーハウスパートはまともに結末に達していて、「俺は筋を通したい。そのためには規則も破る。」というミスタ・ローズのセリフは一つの主題といえる。その視点で見ればラーチの行動にも説明が通るかもしれない。かな?どうかな?
だが映画全体としては最後にとって付けたような感じで父と子の愛情物語ぽくなっている。ここで安易に父の愛情と決めつけてしまうと、ホーマーはラーチに医療を教え込まれ、一度は自分なりの未来を探しに出かけたものの、結局ラーチのひいたレールに戻ってしまったことになる。
原作通りであれば、ホーマーは自分の「筋」を見つけ、それを通すために「堕胎手術は行わない」という自分で決めたルールを破ってセント・クラウズに戻ることになる。ネタばれになるが説明すると、ホーマーはもともと堕胎手術を行いたくなかった。それは殺人という意識があって理性的にも心理的にも受け入れがたかったためだ。しかし歪ではあるが愛情のあるオーシャンビューでの生活の中で、彼は愛する人々を得た。そしてその中の一人であり、息子が好意を寄せた相手でもあるローズ・ローズを救うため、いとも簡単に手術をやってのける。ホーマーの見つけた筋がなんだったのか、わかるだろう。
映画では、オーシャンビューでの生活はたかだか一年。そしてキャンディとの関係はウォリーの帰還の報とともに、いとも簡単に揺らぐ。期を同じくしてラーチの死と孤児院の存続の危機。「堕胎手術は行わない」という規則を破ることでは同じだが、そうまでして通したかったホーマーの筋は、使命感か、ラーチや孤児院の人々への愛情か、いずれにせよ原作とは違うものになってしまっている。