ディアスポラ

約2ヶ月かけて読了。
1日数ページということがざらな、険しい道のりだった。
某ふしぎなことなど何もない小説はもっとぶ厚いが、こんなに長くはかからない。
わかりにくいのは確かだが、それよりも、なんか、

読み進めようという気が起こりにくいというか〜
おもんないというか〜

いや、でも全然嫌いじゃないし、読む価値は絶対にあるから、
騙されたと思って読んでみてください。外の人。

といいつつ、次の行から全力でネタバレ感想する準備中。
これから読む予定のある人は以下読まないことをおすすめする。
別にネタバレするとまずいようなネタもないのだが、
逆にそれを知ってしまうと読む気が(ry


物語のあらすじは先週の日記で書いた。
だけどもう少し自分の中でおさらいしたいことがある。

この小説のタイトルは”大離散”だが、
それと対極をなすようなアイディアが2つほどある。
一つは架橋者、もう一つはワームホールだ。

架橋者は肉体人の一種族というか、一集団のことである。
近未来、身体の構成を自由にいじれるようになった人類は、様々な方向に分化した。
あるものはエラをつけて水中生活をしたり、
あるものは身体を機械で置き換えたり。
飛ぶ奴もいるらしい。
あるものは思考や認識にまで手を入れてしまい、そうなるともはやコミュニケーション不能になってしまう。
架橋者はこれを解決しようとしている。
その方法は、どの種族の間にも、その中間に属するような人がいる、というような集団を構成すること。
アフリカのある種族の人と日本人が話す場合、日本人は日本語の分かるアメリカ人にまず伝え、そのアメリカ人はアフリカのある言語が分かる別の通訳にそれを伝え、その通訳は標準的なアフリカ語から目的とする地方の言葉へ翻訳することで、やっと意志を伝えることができる、というのを昔テレビで見た気がする。
これを応用すれば、余りにも多様化した人類が再びまとまりをもてる、と考え実行するのが架橋者だ。
彼らはほとんどがガンマ線バーストによって死に絶えてしまうのだが、わずかな亡命者と架橋という考え方はのちに重要な役割を持つ。
物語後半で異星の生物に遭遇したとき、一人の架橋者が架橋を実行して意志を疎通することに成功するのだ。

もう一つ、ワームホールは宇宙の別の点を結ぶトンネルのようなもので、作中の理論によると電子やクォークなどはすべて微小のワームホールなのだという。
残念なことにあまりにも小さくて人はおろか、ナノマシン(極微小機械)も通れない。
しかし人類がかつて想像もしたことのないような巨大な加速器を使って加速した粒子を衝突させれば、ある程度の大きさのホールを維持するエネルギーが得られるのではないかと人類は考えた。
そうしてできたワームホールを、遠宇宙との通信、はたまた移動にまで使ってしまおうと考えた。
もし実現したなら、短時間で気軽に宇宙を探索できるようになる。宇宙船とコールドスリープを使った移動は完全に古代の遺物となると期待した。

人類は作った。太陽系にまたがる加速器を!
そして失敗した!
そりゃもう、完膚なきまでに失敗した。

ワームホールはできた。しかしそれをくぐり抜けるのに、普通に移動するのと同じ時間がかかったのだ。意味ないじゃん。

人類はショックに打ちのめされた。やっとのことで立ち直ると、以後4次元以上を扱う抽象的理論を忌避するようになった。
そして以前は嘲笑の的だった宇宙船とコールドスリープ(?)を使った古くさい旅に出発した。
ポリスの1000のクローンを1000の方角に向けて打ち出す。それがディアスポラ

人々をつなぐ試み、宇宙をつなぐ試み、両方ともうまく行かない、
何とも爽快じゃない物語です。
しかし人々は諦めなかった。この広い宇宙には別の知的生命が存在するはずだ。中には我々よりも高いレベルの人々もいるだろう。我々は一人じゃない!(←作中にこんな台詞は出てきません)

宇宙に出た。知的生命体は確かにいた。
例えばオルフェウスという星には、でっかい昆布がただよっていた。
しかしそれはよく見ると規則的パターンで分裂していて、さらによく見るとどうも計算機を構成しているらしい。パターンをフーリエ変換したところ、そこはなんと生物あふれる海だった。
つまるところオルフェウスの生物は、ポリスの中にひきこもっていた自分たちと同じ穴のムジナ。それ以上のものではない。

別のクローンはある星でトランスミューターという存在に気づき、彼らを追って6次元マクロ球に飛び込んで行く。
マクロ球とは何か?
たとえ話として、大きさ2の家を考えてみる。
もし世界が1次元なら、大きさ2の家には2人の人が住むだろう。(前後に連なって)
もし世界が2次元なら、田の字のように4人が住むだろう。
もし世界が3次元なら、2階建てになって8人がすむだろう。
通常はこれに時間を1次元として加え、我々が住む4次元世界とする。
もう一つ次元を加えて5次元にするとどうなるだろう。我々の4次元の認識では、部屋は8つしかないはずである。しかしなぜか16人の人が住んでいるのだ。それは各部屋に隠れた自由度があり、2人の人が同じ部屋に、互いに気づくことなく住むことができるからだ。
作中の理論によるとこうした自由度が6つあるらしい。各部屋に64人、8部屋で512人が住めてしまう。これはもうホーンテッドマンションである。

次元の考え方にはもう一つあって、余分な次元を家の番地と考えるのである。
8部屋の家が2個並んで建っていたとすれば、16人の人が住むことに何の不思議もない。
6次元なら家が田の形に4件並んでいるのだ。
注意すべきは、家の並びの方向は、部屋の並び(前後左右上下)とはまた別の方向ということだ。
この家の並んでいる空間をマクロ球と読んでいるらしい。
結局のところ家が6次元で並んでいて(1郡2区3条4丁目5番6号みたいな)、その中のどれか1点を取り出すとそれぞれ4次元宇宙(並行宇宙?)になっている、というなんとも壮大な真・宇宙。

ヤチマたちは6次元のマクロ球に移動する方法を見つけた。
しかし移動すると言っても、遠隔でまずポリスのクローンを組み上げ、そこに市民たちのスナップショットを配置し起動する、という、イーガン得意のコピー式。また分裂するのかい。

旅の動機だったトカゲ座の謎は、途中で出会ったお留守番ロボット(先行する知的生命←トランスミューターでもない、が遺した)にあっさり解明されてしまい、バーストを乗り切る方法も見つけてしまった。旅をする正当な理由はもうない。
しかしヤチマとパウロは旅を続ける。トランスミューターに会うまで。
やがてトランスミューターの痕跡も途絶える。
つまるところ、とっくの昔にトランスミューターも飽きたのだ。
ヤチマの旅は終わる。
しかしヤチマの生は終らない。
一番知りたいと思ってきた問いに答えが出ていないからだ。
わたしとはなにか?

この小説で描かれたヤチマは小さな一つの枝にしかすぎない。
その昔、市民がポリスで暮らし始めたとき、ポリスに移住しない人もいた。
バーストのあと、ヤチマはC-Zに移住したが、イノシロウはしなかった。
地球から千の船が発進した。後半描かれるのはその1隻だ。
U*を見つけたとき、移住しない人もいた。
U**を見つけたとき、移住しない人もいた。
疑問が解決した以上、トランスミューターを追わない人もいた。(ほとんどだが)
終わりまで来て、パオロは進むのを止めた。
繰り返される別れ、別れて初めて自分と他人の境界が分かる。
個人として生きることに必然的に付きまとう別れ、それがもう一つのテーマなのではないかと思ったりした。思ったりしただけだ。