死国

四国はじつは死国と隣りあわせだった、といってしまえば身も蓋もない。
それは怖いっちゃあ怖いけれど、この本で書かれている「恐怖」は田舎の村をおおう、濃密によどんだ空気のことかもしれない。
田舎には田舎の風習がある。それは先祖代々言い伝えられてきたもので迷信に近いものもあるが、過去の経験に立脚したものもあるし、なにより多くの人に信じられているものには威厳のようなものがある。この本ではそれは遍路であり、逆打ちだ。
また、主人公は村を出て東京で暮らしていたが、戻ってきたときに村人との間に感じる隔たり、一方は「村は退屈でしかたない、都会はどんなに刺激的なんだろう」と思い、もう一方は「都会はむなしい。村は不便かもしれないがある種の豊かさがある」と、隣の芝が青く見えちゃってしょうがない。なんせ何もない村なので、住人はお互いのことに興味津々なのである。噂話が広がるの速いしね。
閉鎖的な地域で住人がお互いのことをよく知り合うと、共有意識のようなものが生まれる。それは仲間意識や団結心だったり、倦怠感や疑心暗鬼なこともあるが、たいていはこれらが薄く混ざり合って、角も立てずに淀んでいるのだろう。
この空気に、どこかうさんくさい風習というやつがミックスされるとそこに恐怖の種が生まれる。やがて忘れられるものもあるが、あるものは住人に広く伝染し根付いてしまったりする。そして伝説へ。
この本はそれが伝説にとどまらず真実になっちゃう、現代の怪談だ。登場人物の死にっぷりがスティーヴン・キングを思わせる。「こんな黄泉がえりはイヤだ」というキャッチコピーを贈りたい。