祈りの海

順列都市が面白かったので短編集を買ってみた。
はっぴゃくよんじゅうえん。たかい。

どいつもこいつもおもしろい。
筒井康隆のナンセンスな話ぽいところもあった。もう少しまじめだけど。
大体が近未来で、新しい技術が我々の生活を少し変えている時代。
作者の興味は、技術そのものよりも、技術が我々に及ぼす影響のほうにある感じがする。

こんなパターンがあるのかな。
・起 ー> 技術の概説
・承 ー> 技術が変える私たちの生活
・転 ー> 技術が変える私たちの生活が変える私たちの生活
・結 ー> 変わった生活を生きる私
起については、とくに目新しいことはない。AIだったり仮想現実だったり、遺伝子だったり脳だったり。
特徴的なのは、承と転、とくに転のもう一ひねりが、いつも私の想像を超える。

「ぼくになることを」というのがいい。
冒頭がいいので、引用する。

 六歳のとき、両親からきかされた。ぼくの頭の中には小さな黒い<宝石>がいて、ぼくになることを学んでいるのだと。
 宝石には<教師>がついている。〜〜中略〜〜同時に教師が宝石の思考をモニターして、それをぼくの思考と比べ、宝石の思考がまちがっていたときには、教師は考えるよりも早くあちこちを修正して宝石の思考が正しくなるような変更点を見つけだし、宝石をちょっとずつ作りかえていた。
 なんのために? ぼくがぼくでいられなくなったとき、宝石がかわりにぼくになれるようにだ。

起承転結の起が、半ページほどの短さでしかない。
それでいて、要点は明らかで、しかもどうやら面白そうな話題だということもわかる。

臓器をのきなみ人工のものに置き換えていくならば、脳だけを生まれたときのお古のまま残しておくことはないだろう。
しかし人工の脳は本物の脳の代用になるのだろうか???
なる、と科学者は答えた。
ようするに、インプットに対して、脳と代用品が同じアウトプットを返すことが保証できれば、代用として十分だろう、と。
本物が生きている間は、教師をつけて、本物と同じ動きをするよう代用品を調教していこう。
念のため、<スイッチ>する前の一週間は教師を止め、それでも脳と代用品が同じ動きをすることを確認することにしよう。
そういうことで、<スイッチ>は我々人間に受け入れられた。

もし高度な文明をもった宇宙人生物学者が、この光景を見たら「これはなんと複雑な冬虫夏草だろう!」と驚くかもしれない。
宝石はどこかの工場で生まれ、人間の頭蓋の中で育つ。
やがて時が来ると、人間の手によって(?)神経系が切り替えられ、宝石は体をのっとる。
冷静に考えれば、立派な寄生生物だ。
しかし、人間たち(?)の社会は、スイッチ後の人間をなにも変わらないかのように受け入れる。
本物と代用品が同じ動きをし続けるかどうかなんてわかるわけがない。
なぜならスイッチ後、本物の脳は『除去されて処分され、無菌培養された海綿状組織と交換される』からだ。ヒュー。スプラッター
むしろ、同じ動きを続けないことが確実だ。脳細胞は死滅するが、宝石は壊れないのだから。
それでも人間たちはお互いを人間として認識できる。(らしい)
人間って、心臓にも脳にもいなければ、どこにいるんだろう?

他にも「誘拐」が心理的に面白いと思ったり。
「貸金庫」とか「無限の暗殺者」とか不思議な話しがあったり。
「放浪者の軌道」はあまりよくわからなくて、「ミトコンドリア・イヴ」はコメディタッチだ。
「繭」とか「イェユーカ」は社会派ぽい。
祈りの海」は宗教的法悦についての話で、SF作家的な世界ができかけているが、どちらかというと前半に収録されているような、現実感あるやつのほうが好き。

ついでに、翻訳がいい。
専門用語を出すときのぎこちなさがない。
『ぼくたちの人生は、かき鳴らされた弦のように反響する。時間の中を前後に流れる情報の衝突が作りだす定常波。』(p.167 「百光年ダイアリー」より)
嗚呼、まるで風景を描写しているやうだ。
定常波という言葉が、身の回りにある日常的になじんだもののように聞こえる。
これは原文がいいのか訳文がいいのか判断できないが、きっとどっちもいいんだろう。