ペネロープ

「昔々、ローマの時代に一人の剣士がいた。
彼はいわゆるグラディエーターというやつで、名誉と引き換えに命を捨てることも惜しまない男だった。
といっても王や高貴な身分の人間に仕えるのではなく、その身は下賎の金持ち貧乏人の道楽に捧げられるもの、誰かに与えられる名誉などというものはなかった。
つまり彼の名誉とは、強力な敵の攻撃に耐える頑丈な体、目を瞑るまもなく打ち込んでくる剣戟をかわす俊敏さ、そして一刀の元に敵を切り伏せる剣さばきのこと。
強い自分の肉体こそが、彼が誇る、そして信じることのできる唯一のものだった。
-
「その剣士が身につける防具は他の戦士と比べて見劣りがした。
鎖かたびらを袈裟のように左肩から胴に巻き、腰につけた革のベルトで絞める。
右肩は剣を振るいやすいよう大きくはだけ、下半身も相手の懐に大股で飛び込めるよう麻のパンツを穿くだけだ。
理由はそれだけではない。
彼の得る報酬は、試合のないときの生活費を除くとほとんど武器に流れていた。
振るう剣は3本持っていたが、暇さえあれば矯めつ眇めつ磨き上げ、柄の張り革がはがれれば修理人に払う金を惜しむことはなかった。
それに何より、彼の頑丈なる皮膚は、爪の引っ掻きなどは弾き返し、たとえ斬りつけられてもアロエの軟膏を塗ってしばり、一日眠れば勝手にふさがってしまうのだから。
-
「その日の相手は肌が褐色で、明らかに海の向こうから来たとわかる見慣れぬ服装をしていた。
両手に一本ずつ、草刈がまのような曲刀を握っていた。
それを頭の上に雄牛の角のように掲げる構えはまったく奇妙なものだった。
剣士の戦法はきわめて明快。
試合が始まったら大きく踏み込んで振りかぶった一刀を放つ。
それが防がれたならば返す刀で横に払い、あとは次の一刀で仕留めることのみ考える、その連続だ。
ラッパの合図とともに、いつものように大きく踏み込んだ剣士の一撃は鎌男の右の角に勢いをとめられた。
もう一方の刀が来ると読み左に振るった剣は空を切り、そして無防備に開いた彼の脇は、さくりと真横から来た鎌の切っ先に裂かれた。
長年の経験で身についた冷静さで、剣士は左足をけって鎌の進行を避け、一瞬のうちに構えた一撃で相手を切り伏せた。
-
「傷は肺を傷つけはしたが命にかかわるものではない。
しかし彼は苦い粉を口に含んだような、居心地の悪い不安を感じた。
己の信じた強靭な皮膚も、時に鋭い切っ先で裂かれるのか、もし今日の敵が達人であれば、果たしてこの右腕はまだ胴にくっついていただろうか。
考えるほど恐ろしくなった剣士はその日の褒賞で鉄板を買い求め、戦いのときはそれを右肩にくくりつけることにした。
その後も剣士は勝ち続けたが、不安はますます募る一方。
そして彼の赤く輝く肉体は黒い鉄板によって覆われていった。
主を守る必要から開放された頑丈なる皮膚は緩み、やがてとろけた。
試合のない日も甲冑に身を包んだ彼は、試合に出ることもなくなり、日のあたらない自分のねぐらでただ空ろに昼を過すようになった。
-
「こうして、かぶと虫という生き物が生まれた、というのさ。
どうだろう、この話。」
「どうって、まあ平凡ね。
どこかで聞いたような話だし、あまり盛り上がらない。」
「細かいところは後でつめるとして、ところで、この鎌男が何を意味するかわかるか?」
「まだ続きがあるの?」
「こいつはクワガタになって自分を負かした男を追いかけるんだ。
間違いなく面白いぜ。」
「ああそうね」