その日僕は寝不足だった。
休みの日で父と母と僕は家にいた。
父と僕とで昼食がてら出かけることになった。
家から1キロほどのところにあるラーメン屋まで父が車を運転した。
ラーメンを食べた後、少し待ちのほうまで行こうと父が言った。
父が「代わるか」といったので、運転を代わることにした。
運転席に深く腰掛け、シートベルトを締めた。
ブレーキを踏み込みシート位置を合わせ、バックミラーを調整する。
ほとんど車に乗らない僕としては、自動車学校で覚えたおまじないのようなものだ。
窓から見える景色は一面雪で真っ白。
30センチほど積もった雪の中、車道だけが踏み固められて低くなっている。
後ろの車が来ていないことを確認して、ゆっくりアクセルを踏んだ。

数百メートルほど走ったところで、大きくハンドルを取られた。
「前の車の溝からずれないように走らないと」
何事もなかったので安心したのか、前の車との距離が近くなっていた。
交差点で、前の車は停止のため減速していたのだ。
ブレーキを踏んだが間に合わなかった。
前の車の横に、一台通れるかどうかのスペースがある。
とっさにハンドルを切り、脇を通り抜けた。
信号は黄色から赤に変わろうかというところ。
仕方ない、と交差点を通り抜けた。
横断歩道を渡ろうという人はいなかった。
ただ、交差点近くで左車線に車がごっそり固まっていた。
オレンジのビニールネットが張られ、赤いランプが点滅し、警察の車らしきものも見える。
ハンドルを右に切って、右斜線に少しはみ出しながら通ろうとした。
北の広い道は、2車線といえど、4車線ほどの幅がある。
2番目の車線を行こうとしたが、向こうから対向車が来る。
今思えば3車線のうちの右2車線が逆方向だったのだろう。
左には停止した車の周りに人が何人か立っている。
ハンドルを右に切り、対向車をやり過ごそうとした。
とっさのときハンドルで解決しようとする癖は学校のころから知っていたが、ブレーキを踏むことはこの時点まで気づかなかった。
避けきらないうちから、停車のためブレーキを踏み込む。
対向車が急に左に(僕から見て)方向を帰るのが見える。
急なことが続いて混乱した僕は、ブレーキを踏んだままボウと窓の外の景色を眺めていた。
車体が回る。
雪道で方向を変えての急ブレーキ、滑らないはずがない。
対向車の向こうにもう一台、あわててハンドルを切るのが見えた。
右側の歩道が見え、今通った交差点、やがて車の群れが見える。
コートを着た男性に混じって制服姿の警官も見える。
ずれながら回転する車体は、その中へ突っ込んでいた。
白バイにまたがった警官が見える。
ボンネットがバイクを押し倒し、そのまま警官を轢いた。
腹部に車体が当たり、警官の上半身がこちらにせり出す。
驚いた顔はまぶたを閉じ、ゆっくりと首をうなだれた。
車体はいつの間にか停止していた。

ドアの音でわれに返った。
右に座っていた父が外に出るのが見えた。(外車?!)
慌てて自分も外に出る。
思ったよりも外は静かで、冷たい日差しが寝不足の目にはまぶしかった。
父が何か大声で話している。
「ぶつけて人が死んじゃったみたいなんだけど」
コートを着た刑事と思しき男性は、軽く笑い声をあげた。
「被害者じゃなく容疑者が出てきたか!」
父は取り押さえられるでもなく、警察の輪の中に入っていった。
僕の周りに人が寄ってくる気配はなかった。
数歩足を踏み出すと、くるぶしの上まで雪に埋まる。
首に引っ掛けていたイヤホンのコードを振りかぶって投げ捨てた。
両手を挙げ、反抗の意思がないことを示した。
どこに潜んでいたのか、制服姿の警官が、ロックワイヤーをイヤホンに引っ掛けた。
しかし僕を拘束する気配はない。
疲れたのでバスに乗って家へ戻ることにした。

家で待っているあいだ、近くにあった雑誌を眺めていた。
自賠責ならxxx保険」普段は気にもしない広告に目が留まる。
母親が帰ってきた。
どことなくうなだれた様子から、すでに話は伝わっていることがわかった。
「どこまで聞いているの」
部屋に入り僕の隣に座り込んでしまった母親に尋ねた。
電気屋さんが死んじゃったってこと。」
電気屋さんだったの?!」
思わず聞き返した。
声は上ずってしまった。
しかし母親は答える様子もなく、とつとつと言った。
「明日5時前に起きなきゃならないってこと・・・、
 それも離婚でどうなるか」
絶望的な気分になった。

ここで携帯電話の目覚まし時計の音に僕は起こされた。
ありがとう携帯電話。ありがとう朝。夢で本当によかった。

後で考えるといくつかおかしな点がある。(まあ夢だから)
1.運転席が右の普通の国産車を運転していたのに、警官を引く瞬間自分は左前の座席に座っていた。
2.事故現場で誰も自分を捕まえようとせず、帰宅する隙すらあったこと。
3.電気屋さんが死んだという母親の言葉。
事故後、隣に乗っていた父親が警官たちに話かけ、その後僕は一緒に帰宅せず、その後の母親の態度から考えるに、父親は警察に拘束されたと思われる。
そもそも事故を起こし、人を轢いたのは僕ではなかったか?
そこで次の可能性が考えられる。
a.子供の起こした事故を自分で負うため嘘の証言をし拘束された。
b.実は事故を起こしたのは父親であり、僕はそのときのショックで記憶が混乱している。
bは非常に虫のいい話だが、問題点1を根拠としている。
逆に、自分が運転席に座り、シートとミラーを調節したというディティールがaを支持している。
なんにせよ、警官たちの目が全く自分に向けられていないことから、父親の何らかの働きかけがあったのは間違いないだろう。
次に、電気屋さんとはどういうことか。
推測を述べさせてもらうと、僕たちが事故を引き起こす少し前に、交差点で何か事件があったのだ。
警官や刑事と思しきコートの人物が集まっていたのはその捜査のためと考えられる。
そして、その事件で命を落としたのが「電気屋さん」なのだ。
さらに飛躍した意見を許してもらえるのなら語るが、僕たちの車はスリップはしたがとめてあった車にぶつかって停止し、人を轢くことはなかったのではないかと考える。
そして、驚くべきことだが、目の前で命を落とした白バイの警官、それは直前になくなった「電気屋さん」の強い想念なのである。
警官の服装をしていたのは、直前に目にした人たちの記憶と混濁したのだろう。
そう考えれば、父と対面した刑事の不可解な言動も説明がつきそうな気がするのだ。

考えているうちに、「自分はやっていない」という方向へ持っていこうとする自分が嫌だ。
しかし目が覚めた直後は本当に絶望的な気分だったのだ。
しばらくの間、頭の中でさだまさしの「償い」が流れ続けていた。
「人間って 悲しいね」