ユリウス・カエサル ルビコン以前

ローマ人の物語」がおもしろい。
半年の間に購入した文庫本は10冊に越した。
熟練のタチヨミストである私にしては、とても珍しいことだ。


一体、どこが魅力的なのか考えてみた。


文体は簡潔で明瞭。
史料を基にした膨大な情報の積み重ねが、言葉に真実味をもたらしている。
しかし無味乾燥な文にはなっていない。
時折、登場人物はこう感じたのではないか、という著者の推測が挟まれる。
史料に記されることは少ないそれらの情報が、読み手の抱くイメージに潤いを与える。
加えて、個々の文は簡素であるが、文章構成が巧みである。
重要な場面の前では、それとなく後の主人公達の来歴を織り込む。
たとえば、ローマがハンニバル率いるカルタゴに完敗を喫したカンネーの戦いを記述するときには、この戦いで指揮官の父を失った若い将校スキピオのエピソードを入れている。
なぜなら彼は数年後、無敵だったハンニバルをついには打ち破ることになるからだ。


↑(追記)大嘘。スキピオの父も叔父もカンネーでは死んでない。思い違いだが、修正しようがないのでここで訂正。


事実を簡潔に述べ、並べていくだけでは説得力は生まれない。
歴史が学ぶものとして尊重されるのは、そこに原因と結果があるからだと思う。
この本を読んでいると、その因果が脈々と波打っているように感じられる。
そのような文体は著者の力量でもあるが、ローマ史が2千年もの間読まれ、研究されてきたことによって、洗練された構成が定着しているのかもしれない。(他のローマ史を読んだことはないので適当)


今まで戦争や戦略に特別興味があったことはなかった。
しかし、この本で描かれる戦争は、のめりこませるような面白さがある。
ポイントを押さえた地図は、頭の中でイメージを描く強い味方になる。
説明は当時の軍隊のシステムから兵士の装備、現代人も気になる給料の仕組みなど、事細かに記述されていて、楽しい。
戦略も、陣地の選び方や機動力の活かし方、情報収集の重要性など、現在でもその重要性は変わらない。


これが戦略シミュレーションが変わらぬ人気を持ち続けるのも納得できる、などと思っていると、気づく。
この数ページの記述の中でも、数万人の人間が命を失っているのだと。
戦争を嫌う気持ちと、今回気づいた面白さとの矛盾で私の戦争認識は揺らいだ。
その後どういう結論に達したかというと、

  • 誰だって死にたくないし、大事な人を死なせたくないのは真実だ。
  • それとは別に、個が利を追求すると争いは起こる。これは必然である。
  • みんな死にたくないんだから、この争いを、なるべく武力を用いず、話し合いで解決しよう、というのが我々の現代人の結論である。
  • しかし、武力は最終手段としていまでも有効なのだ〜。

我々は武器を持たなくてもよいが、武器については知らなくてはならないと思う。
人を殺さなくてもよいが、人をどうやって倒すかは知っておいたほうがよいと思う。
カリスマ扇動者なんていらないが、そういう人が確かにいることは知っておいたほうがよいと思う。