最期の努力・上

なぜかキリスト教について考えている。
ローマ人の物語の文庫本をかれこれ4年くらい読み続けて、ようやくローマの後期に入った。
勢力が地中海全域に及ぶほど広がり、首都の元老院では統治が無理になった。
そしてカエサルが画策しアウグストゥスが実施した帝政への移行。これが1世紀。
皇帝による統治は順調に引き継がれ、全員が優秀というわけでもないが、その当時の情勢に合わせて形を変えながら帝国は続いていった。
現在のドイツを通って北海に流れ込むライン川バルカン半島を横断して黒海に流れ込むドナウ川、そして東端はユーフラテス川をはさんでパルティア(またはペルシア)と向かい合う。南は北アフリカ一帯が、すでに数百年も属州として平和を享受している。帝国が最大の領域をもって繁栄したいわゆる五賢帝の時代は2世紀。
しかし3世紀に入ると帝国はゆるやかに衰退を始める。皇帝は目まぐるしく変わり、多少治世が続いたとしても大半を北から攻め込んでくる蛮族の対応に貼りつきぱなし。もっと早く衰退しなかったのはローマの基礎体力のおかげ。財政難は深刻で、100%だった銀貨の銀含有率は5%まで落ちる始末。皇帝たちは些細な理由であっけなく謀殺され、ヴァレリヌスにいたってはペルシアの捕虜になって帰らぬ人に。。。
これはいかん、と立ち上がったのが、本巻の主人公、ディオクレティアヌス。こんなデカい国を一人で納めるのは無理!と言って、まずは2分割、やがて4分割して4人の皇帝で治める4頭政治を始めた。皇帝たちがそれぞれの任地の前線で指揮をとるようになり、蛮族に侵されていた防衛線は再び確立した。またインフレに歯止めをかけるべく、銀貨の銀含有量を100%に戻した。元老院の権威は既にあてにできなくなっていたが、代わりにローマの神々の威光で国をまとめようとした。そのとき反対派と目されたのが、一神教キリスト教だ。ディオクレティアヌスは踏み絵のようなことまでやって徹底的に弾圧した。以上、やるべきことをきっちり遂げて満足したディオクレティアヌスは帝国を後継者に託し、早々に隠居してしまった。
だがである。彼の行った4頭政治は結果的に組織の流動性を奪い、非効率を招いた。軍事費はなんと2倍に。インフレ防止のための良貨発行も、みんな良貨を手放そうとしなくなり、流通するのは悪貨ばかり。弾圧したキリスト教は、次の皇帝の代には国教に! この無に帰しっぷりはスッラ以来だ。元皇帝も草葉の陰で泣いておろう。
さて、次巻のコンスタンティヌス帝の時代にキリスト教は国教になるらしい。うーん、なぜだろう。