順列都市

近未来、富豪たちは自分の”コピー”を作製することで、半永久的な命を手に入れた。
”コピー”とは、脳の行動規則をデータに落とし、コンピュータ上で精神を走らせる技術である。
”コピー”の永遠は完全に思える。
時間の流れる速さが外界の17分の1であることを気にしなければ、
外界にいたころと変わらずに、ニュースを読み、意見を表明して、世界に影響を及ぼし続けることができる。
”コピー”が走るマシンを誰かが維持し続けてくれれば、
病むことも老いることもなく、好きなだけ生きることが可能である。
しかしここ数ヶ月、一人の保険屋が世界の”コピー”達の元を訪れ、嘘のような話を吹聴しているという。
現実世界が”コピー”を拒否しようとも、あるいは隕石が衝突して地球が滅びようとも、安全に自分=”コピー”を走らせ続ける方法がある、と。

この物語では、上の言葉は真実だったわけだが。
そのからくりはとんでもなく奇抜で、読んだ私は唖然とした。
コンピュータの原理とセルオートマトンの理論に立脚しているが、どこでどう間違えたのか、あれよあれよという間に発展し、三回半ひねり月面宙返りウルトラCで着地てな印象。
とにかくセルオートマトンと人工生命を題材にしたSFとして、超最高にエキサイティングなものを読んだ。

多分ここでそのからくりをばらしてしまっても、意外性が失われるということはないだろう。
むしろ、読んでみていまいちわからんかったという人に解説したい。
私も理解しきっているとは思わないが。

”コピー”を走らせているのはコンピュータである。
コンピュータであるならば、万能チューリングマシンで模倣できる。
万能チューリングマシンとして動くセルオートマトンがある(そうだ)。
セルオートマトン上で自己複製する万能チューリングマシンが作れる(かもしれない)。
セルオートマトンは初期配置さえ与えてやれば、あとは勝手に発展し、そこに不確定な部分はひとつもない。
では、結論1。
「セルオートマトン上に自己複製する万能チューリングマシンを配置し、その上で走る”コピー”の情報をデータとして配置すれば、あとは徐々に拡大するマシンの宇宙で”コピー”は生きていけるよね!?」

物語中で、ある男が実験を行い、以下のことを確かめた。
「”コピー”の時間をばらばらに分割し、並び替えて実行しても、”コピー”にはそれを認識できない。」
正直よくわからないのだが、どうやら”コピー”の世界は時間を反転させたり飛ばしたりできるらしい。
結果の状態から始めて、時間を遡ったりこまを飛ばすように計算ができるということだ。
しかも、内部の”コピー”はそれを認識できない。
(ただし、このとき外界と通信することはできない。外界の因果律と矛盾するから。)
男の発想は飛躍する。
どんなに時間を細切れにしても、”コピー”の精神はそれを再構築できる。
”コピー”には結果が原因の後にある必要はない。
結果と原因という状態が存在すれば、”コピー”はそれを原因→結果という順にたどることができる。
結論2。
「”コピー”には因果律は存在しない。」

セルオートマトンの世界で”コピー”を走らせたらどうなるだろう。
有限のセルオートマトンは有限個の状態しか存在しない。
有限個の可能性は「存在している」。
”コピー”はそれを順にたどるだけでよい。
もはや計算もいらない。
「自己増殖するマシン、”コピー”を走らせる環境、そして精神のパターンを配置し、最初の数ステップを稼動させてやれば、たとえその後実行が停止しても、コピーたちは可能性を次々とジャンプして生き続ける。」
新たな宇宙が発進するのだ!!
そしてコピーたちは永遠に生きる。新世界の神になるゥゥゥゥッ!

以上。第1部終わり。
しかし、話はここで終わらない。
すべてを手に入れた神は、どうやら退屈する運命にあるらしい。
そのため発案者は、読みきれないほどの古今のメディアと共に、初期配置にあるものを封入した。
それが、あんな結果を招くとは・・・。

以上、時を遡ったり、分子をいじったり、神になったり、テーブルの脚を作ったり、宇宙人に会ったり、永遠の孤独を生きたり、人格を改造したりと、盛りだくさんなお話でした。
ポールはアーキテクトで、マリアはオラクルなのかなぁ?


と書いた後、ネット上のレビューを漁ってみた。
結構「哲学的」と書いている人が多いのが驚きだった。
私はこの本を読んで哲学的な印象は全く受けなかった。
”コピー”の持つ「意識」について引っ掛かったという感想も見られた。
私は”コピー”に意識はないと思う。
”コピー”はどう見てもいろいろなものを省いているから。
人間の意識は脳にあるのではなく、”コピー”が省いたものの中にあるんじゃないかなぁ、とか言ってみる。
(以前ふと、「この右手の指の先までも自分だ」と強く感じたことがあって、脳よりも体のほうが興味がある。意識をすべて脳で片付ける考えはあんまり好きじゃない。)
ただ、”コピー”の中身がハリボテだったとしても、その言動を見て私達がそれを人間だと思うなら、それは人間ということでいいんじゃねーか、と思う。(チューリング・テスト鵜呑み)


と書いた後、さらにレビューを漁ってみた。
最終的なオチについて、なぜ世界が崩壊したかというところをあまり自分は詰めてなかった。
他の人のレビューを読んでから考えると、あれはマリアたちの世界とXXXたちの世界(←いちおう伏せる)の現実味の対決だったのでは、と思う。
崩壊したのはXXXの攻撃があったためではなく、むしろマリアたち自身が、自分の世界よりもXXXの世界に現実味を見出してしまった。
心の奥底で感じていた、この世界は夢に過ぎないのでは?という疑念に押し流されてしまったのではないかと思う。
周囲に執着のないピーが異変に気づかず、周囲にわずかながら関心をもつケイトが異変に気づいたのと関係あるかもしれない。

「自分にとって面白いものというのは、感想文を何バイト書けるかということで決まる。」
 − ググレカス(ローマの思想家) −

マトリックスの3作をみたあとは日記帳に5ページくらい書いた。
そういえば、この本を読むにあたって、少なからずマトリックスを見た影響があったと思う。
”コピー”について読んだとき、ベースとなったイメージはやはりマトリックス世界だったし。
おお。ネオがパニックしているぞ。だが脱出ボタンはなぁい!
今読んだ感想と、もし10年前に読んだときの感想と、10年後に読んだときの感想は全然違うんだろうなぁ。
あたりまえだけど。

だらだらと書き続けるが。
上のほうで意識うんぬんについて語っていることは、おそらく私の中で意識と生命性の区別がはっきりついていないので、誤解を招くかもしれない。
上で意識と言っているのは主に生命性のこと。
人間の理性みたいな意味の意識という点では、”コピー”は意識は、、、うーん。よく分からない。
正直な話、今の自分に意識があるということも納得できずに毎日生きてます。はい。