沈黙の春

読みきった。がんばった。
まず、私はこの本に対し、自然保護のさきがけという言葉に惑わされ間違った先入観を持っていた。
この本で主張されていることは、
・化学薬品による汚染

  1. 近代の化学工業は、害虫駆除、雑草取りのために多種多様な毒を自然に撒き散らしている。
  2. 毒は動物たちはおろか、人間にも牙を剥く。

・代替案

  1. 一度崩れてしまった生態系を元に戻すのは非常ーに、難しい。
  2. 天敵などの自然のカウンターフォースを使えば、目的の生物だけ勢いを弱めることができる。これが自然のとってきた道だ。

以上のようなことが、膨大な資料(化学薬品の知識、実際に起こった事例)を積み上げて説明されてゆく。思わず説得されてしまう。

ここで保護される自然というのは、草花であったり鳥であったり虫であったり、わりと些細な有象無象である。決して鯨でもパンダでもましてやチワワなんてもんじゃない。
簡単に言えば、「自然保護」と「動物愛護」を私は混同していた。
自然保護と聞くと、なぜかWWFのパンダマークが思い浮かび、動物愛護につながって、子供のころ科学雑誌で読んだこんなセリフが頭をめぐるのだ。
 イラストで描かれたシマウマやゾウ(主にサバンナ系の動物)が声をそろえて「僕たちの環境を壊さないで」

こんな自然保護は違うと思っていた。
社会主義じゃないんだから、人が保護することはないし、動物は絶滅してゆくものだ。
動物は人間に泣き言を言ったりしないし、そもそも人間は何かを保護するほど偉いもんじゃない。
「ただ人間は人間が生きるために」自然を護るのだ。といってくれればどれほどわかりやすいことか。
ところで身近な毒の話を散々吹き込まれて、不安になってきた。
たとえば自分は東京の水道水をがぶ飲みしているが、そこにはどれだけの殺虫剤・除草剤・放射性物質が含まれているんだろうか。
そしてそれを飲んでいる私の体にどれだけ蓄積されているのだろうか。
うーん。ミネラルウォータを買いたくもなるわなぁ。
 この本を読んでためになったこと。
・一つ一つの化学物質はそれほど害が無いかもしれない。しかしあれとこれとそれを混ぜてどうなるかという話になると、どんな化学者の手にも余る。
・毒の害は母体よりも子に行く。
・雑草を取り除こうと思ったら、ほかの草を植えちまえばいいのさ